2021年12月2日木曜日

江戸城石垣オンパレード

先日の江戸城石垣レポートです。

まずは将軍が出入りする表門、大手門から入場し、百人番所→白鳥濠→二ノ丸庭園→梅林坂→天守台→大奥跡→石室→松の廊下跡→富士見櫓→中之門→再び大手門から出て、ジョギングする方とは逆の時計回りに皇居外苑→桜田門→桜田通り→霞が関から日比谷公園へと向かいました。

解散後、石好きのYさんと更に歩いて石垣の刻印などを探し歩き、結局朝から2万歩程も歩いたみたいです。

※写真の説明は曖昧な箇所もだいぶあるのであまり参考にはなさいませんように(^^;)


高麗門と渡櫓(わたりやぐら)型の櫓門で構成された典型的な枡形門で、渡櫓門の内側。右側の長屋風の建物が武器庫でそこへ入るための?階段が。階段の向こうは大手濠。


大手門から中之門まではすき間なく積み重ねられたでっかい切石が目立ちます。(「切込接(きりこみはぎ))黒っぽい石は安山岩、白い石は遠く瀬戸内海から運ばれたという花崗岩。どうやって運んだのでしょうねえ?




下乗門升形渡櫓門台の石垣









最終段階での小ミノ仕上げの模様も楽しめます。これは向きが揃って美しいすだれ仕上げ。




白鳥濠(はくちょうぼり)。
乱積み、打ち込みハギという技法で築かれた家康時代の石垣が眺められる場所。
角の算木積みがシャープ♪






本丸と二の丸をつなぐ坂道、汐見坂の角。石を割る時に打ち込む矢穴の跡がくっきりと。左下に刻印みっけ!(広島藩浅野家、紀州藩浅野家ではないかな?)





本丸天守台。明暦3年の振袖火事で焼失した天守台は前田利常により再構築。大阪城の天下普請で藤堂高虎にクレームをつけられた時の名誉回復をかけて、加賀藩が力を注いだものだそうです。




本丸への最後の門で、徳川御三家もここで駕籠を下りたという中雀門(ちゅうじゃくもん)付近。






朱雀門 門台石垣は火熱による損傷が痛ましい。






桔梗濠石垣 積み方の違いはなぜかな?






桜田門 表面の仕上げが美しい。びしゃん仕上げというのかな?






古墳の石室造りをしていた石工がルーツという比叡山の穴太衆(あのうしゅう)が、戦国時代の城造りに大きな働きをします。彼らが信じていた陰陽道の印や、普請に携わった藩の刻印などが石垣散歩の楽しみです。








以上、不明点多しのレポートになりましたが、体力つけてまた出かけてみたいです♪